どちらかというとM

京都在住 主に読んだ本の感想を書いていきます

女心って7画なのに6文字も読ませる単語やね

職場にいる女性と関わりを持つことがあるが、やはりというかなんというかなにを考えているかわからない。いやわからなくて当然だが、そもそも女心が分かるということがどういう状態をさすのかもよく知らないままこの歳になった。

女心が男に関係あるのは相手が恋人か恋人になろうとしてる人かだろうとタカをくくっていたのは飛んだ思い違いで、この先の人生でちゃんと向き合わないといけない課題みたいなものなのかもしれない。あーめんどくさい。

 

凪のお暇、という漫画を読む。

空気を読むことで慣れない女社会の環境に馴染もうとしてきた主人公の凪は、積もり積もったストレスがとあるきっかけで爆発して、過呼吸になってしまう。それまでの環境を断捨離して無職としての生活を始めるなかで、空気を読まない=主張を始めることから、凪は少しずつ変わっていく… 

 

女性の生きづらさを、生きづらさの真っ只中から少し離れたところの視点で多角的に映し出しているのだと思う。男の自分が読んでいて理解しきれないところが女心によるところなのかなとも思ったり。

 

と、いうのが1回目の感想。どうも突き放した読み方をしていたせいか、「ほかのどんな漫画読んでも同じ感想になるんじゃないか」と言えるような事しか書いていないのでもう一度読み直してみた。

 

…生きづらさという言葉は特に最近便利で、何かといろんな話題にひっついてくる。久しぶりに高校の卒業アルバムを開き、なぜか汗がダーダー流れ出した自分も、どこか生きづらさの所有権を主張したくなる部分を持ち合わせている。

親からの期待に沿ってレールをたどっていくことを強いられ、結果お暇を取っている凪は、親の価値観を否定したいと思いつつもその価値観の呪縛の反動で自由を求めてメンヘラ化し、慎二は仮面家族に囲まれた育った結果求められた役割を演じることから抜け出せず、必要以上に言葉足らずになったり不必要なまでに束縛的になったりする。他にも、同級生との距離感やママ友との距離感で苦悩する姿、麻薬のような心地よさを提供するゴンとの距離感に翻弄される姿など、人との距離感について様々な見方を提示していく。

人との距離間に関する絶対的な答えはなくて、2人の間柄の中にある最適解しかない。思い悩むことが減った今なら高校時代の自分にもそう知った顔をして言える。けどこの漫画を読んでいるとそんな知ったかぶりは嘘くさくなるし、俯瞰してみるには親しみやすすぎる。一人一人自分の出会いの中でもがいていくことこそ正しい、そう思わされる。

自分探しの旅で別に自分が見つかるわけでもないのは、そういう距離感を見つめ直すきっかけになる出会いが必ずしもあるわけではないからなんだろうなと思う。お暇だって旅みたいなものだ。

 

ということで、女心を知りたいと思って読み出したこの漫画だが、生きづらさのなんたるかみたいなところをグリグリ掘り下げていく様子がこれからも楽しい感じになっていきそう。この文だけだとめっちゃシリアスなテーマみたいだがあくまで軽いタッチで描かれるし一人暮らしの節約術をこれでもか、と示してくれる(凪のいいところ)のでそんなんも楽しみながら読める。有給取って読んでみてください。